意識をすり抜けて

人は五感に受けた刺激のすべてを意識していない。そのうちのいくつかを選択し意識している。自分に都合の良いことは意識し、都合の悪いことはできるだけ意識しない。

それは誰もに備わっている自己防衛らしい。

だから、人は自分が見たいように見、聞きたいように聞く。

そこから誤解や食い違いや争いに発展することもある。

それらに疲れた時、人間世界から逃げ出したくなる。

そんな時は逃げるがいい。環境を変えるのが一番だ。


ワカラナイ

人は自分でも気づかないうちに他者に映った自分の姿に翻弄されている。

特に日本人は人の目を気にするようにと躾けられることが多いから。

「相手の立場に立って考えなさい」と言われた人は少なくないだろう。

それは社会で生きていくためには必要なことの一つでもある。

ところが、それに捉われすぎると自らを苦しめることにもなる。

人の目に映る自分の姿を気にするあまり、嫌われたくない、出来ることなら好かれたい。よく思われたいと切望し、次第に他者に振り回される。

やがて、そのことに疲弊して動けなくなる。

その一つが「うつ病」や「引きこもり」。

それは、自分の姿が見えなくなった状態。


「自分がない」と表現した人がいた。

これは何を語っているのか?

それは、その都度他者の中に自分の姿を映してきたからだ。

つまり、自分の心の中に自分のイメージがない状態をそのように語ったのだった。

自己イメージを心の中に持てず、外に持ったまま生きてきたと表現できる。


では、そのような人はどうすればよいか?

それが課題となる